1896年 兵庫県明石市に中部幾次郎(大洋漁業・現マルハニチロ株式会社の創業者)の次男として生まれる。14歳より父、兄(兼市)と共に家業の鮮魚仲買商を手伝い始める。
家業は「林兼商店」として発展し、太平洋戦争の前には日本で有数の大漁業会社となったが、捕鯨船、漁船のほとんどを戦争で失うことになった。終戦後間もなく父 幾次郎が亡くなり兄 兼市とともに大洋漁業と名を変えた会社の再建に乗り出す。
漁船を大量に発注し形が整いつつある時、1947年に戦争協力者の疑いで占領軍より公職追放命令を受け、約2年の間、大洋漁業の経営から身を退くことになる。
公職追放期間中に謙吉の個人企業として東貿易株式会社(現大東通商)を設立。大洋漁業の漁船への燃油の供給業務を始めた。1953年社長であった兼市の死の後を襲い、以後1977年に世を去るまで24年間に亘り、大洋漁業の社長を努めた。
謙吉は大洋漁業の中興の祖として、大洋漁業を世界最大の水産企業と言わしめるまでに成長させ、200海里問題等で世界の漁場から閉め出されるなかで、経営の多角化、国際化を推し進めた。
自身が学業より実業を選び、苦労した経験から、教育には熱心で中部一族が基金を拠出して「中部奨学会」を設立し、大洋漁業グループとして縁の深い高等学校(兵庫県立明石高等学校)や大学(東京水産大学現東京海洋大学、長崎大学、水産大学校、北海道大学)に講堂や体育館、北洋研究所を寄贈した。また1963年に学校法人幾徳学園を設立、幾徳工業高等専門学校(現神奈川工科大学)を開校した。
- 【略 歴】
- 大洋漁業社長、大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)オーナー、大日本水産会会長
財団法人中部奨学会理事長、日本貿易振興会理事、全国冷凍食品輸出水産業組合理事他
藍綬褒章受章、勲二等旭日重光章受章、勲一等瑞宝章受章、明石市名誉市民
1947年 | 昭和22年 | 8月 | 創業者 中部謙吉が「東貿易株式会社」を設立。 |
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1948年 | 昭和23年 | 4月 | 石油類の販売業務を開始。 |
1949年 | 昭和24年 | 4月 | 本社を丸の内(東京都千代田区丸の内2丁目4番1号 丸ビル)に移転。 石油取引業を本格化。 |
1953年 | 昭和28年 | 4月 | 石油輸入外貨割当てを受け石油類の輸入業務を開始。 |
1956年 | 昭和31年 | 9月 | 「大東タンク株式会社」を買収し、これに東貿易株式会社の石油部門を分離承継させ社名を「大東石油株式会社」とし、「東貿易株式会社」の子会社として発足。 |
1963年 | 昭和38年 | 4月 | 子会社である大東石油株式会社を吸収合併し、社名を「大東通商株式社」に変更。 矢野恒彦が代表取締役社長に就任。 |
5月 | 船舶用塗料並びに造船用機材等の輸入及び国内仕入販売業務を開始。 | ||
1964年 | 昭和39年 | 6月 | 「北日本石油株式会社」に資本参加。 東北・北海道地区における当社石油販売代行業務を委託。 |
1965年 | 昭和40年 | 5月 | 横浜油槽所竣工。 |
1966年 | 昭和41年 | 12月 | 「大東ペイント」を設立。船舶用塗料の生産を開始する。 |
1972年 | 昭和47年 | 11月 | 千代田区霞が関に「大東ビル」が竣工。賃貸ビル事業開始。 |
1975年 | 昭和50年 | 1月 | ガン保険の取り扱い開始。 |
1976年 | 昭和51年 | 4月 | 横浜油槽所を「大東油業株式会社」として分離。 |
12月 | 中部慶次郎が代表取締役社長に就任。 | ||
1977年 | 昭和52年 | 2月 | 「大東石油株式会社」を設立。関西地区での石油販売業務を開始。 |
1979年 | 昭和54年 | 4月 | 「通商航空サービス株式会社」を設立。航空代理店業務を開始。 |
当社初の冷凍運搬船「飛洋丸」(9,760.220DWT)竣工。 | |||
1982年 | 昭和57年 | 4月 | 「アズマビルサービス株式会社」を設立。建物管理業務を開始。 |
12月 | 当社2隻目の冷凍運搬船「錦洋丸」(4,963DWT)竣工。 | ||
1987年 | 昭和62年 | 4月 | 中部慶次郎が大洋漁業株式会社代表取締役副社長に就任(1989年6月大洋漁業株式会社 代表取締役社長に就任)。 |
小宮光三郎が代表取締役社長に就任。 | |||
8月 | 台町坂ビル(後に名称変更し「市谷大東ビル」竣工) | ||
1988年 | 昭和63年 | 9月 | タンカー部を設立。自社船「鳳洋丸」(59,999DWT)の運航に加え、大洋漁業の委託により大洋商船の解散に伴う同社保有船舶5隻(498,112DWT)の運航を受託。VLCCによる原油輸送業務開始。(タンカー部は1992年6月機構改革により船舶部に統合) |
11月 | 横浜油槽所隣接地に共同石油株式会社(現:JXホールディングス)の油槽出荷基地を建設・竣工。稼動開始。 | ||
1989年 | 平成元年 | 6月 | 自社船初オールステンレタンカー「Southern Garland」竣工。 |
1992年 | 平成4年 | 9月 | 「Oriental Iris」(9,035DWT)竣工。ケミカルタンカーの本格的なオペレーション事業に参入。 |
10月 | 「大東油業株式会社」から横浜油槽所の営業譲渡を受ける。 | ||
1993年 | 平成5年 | 6月 | 本社を霞が関(東京都千代田区霞が関3丁目7番1号「大東ビル」)に移転。 |
1994年 | 平成6年 | 2月 | 博多ラーメン多店舗展開事業の為、「株式会社 福のれん」を設立 (のちに株式会社 鼓福と社名変更して株式会社M.R.Sと統合) |
2000年 | 平成12年 | 6月 | 中部由郎が代表取締役社長に就任。 |
ケミカルタンカーオペレーション業務の拠点として、オランダロッテルダムの「Serromah Shipping B.V」に資本出資。 | |||
2001年 | 平成13年 | 12月 | 横浜油槽所がISO140001認可。 |
2002年 | 平成14年 | 6月 | 「北東石油株式会社」を子会社化し北海道地区での石油製品販売業務開始。 |
2003年 | 平成15年 | 3月 | 横浜油槽所を「大東タンクターミナル株式会社」に営業譲渡。 |
2006年 | 平成18年 | 9月 | 「株式会社マルハレストランシステムズ」(後に株式会社MRSと社名変更)を買収しレストラン事業開始。 |
2007年 | 平成19年 | 6月 | 本社を大手町(東京都千代田区大手町2丁目6番1号 朝日生命大手町ビル)に移転。 |
2008年 | 平成20年 | 4月 | 「大東タンクターミナル株式会社」が「日新タンカー株式会社」(六連油槽所部門)を吸収合併し西日本支店を設立。 |
2010年 | 平成22年 | 8月 | 石油部より横浜油槽所と六連油槽所の物流業務を分離し、物流部を設立。 |
11月 | 「株式会社ワン&オンリーキャスティング」を子会社化。人材サービス業を拡大。 | ||
2011年 | 平成23年 | 4月 | シンガポールに駐在員事務所を設立。 |
5月 | 横浜油槽所と六連油槽所がISO9001を認可 | ||
2012年 | 平成24年 | 1月 | 本社を市谷(東京都新宿区市谷台町6番3号 市谷大東ビル)に移転。 |
4月 | 「大東タンクターミナル株式会社」が東京営業所を開設。 | ||
10月 | 「林兼石油株式会社」が「大東石油株式会社」より事業を継承し、大阪支店を開設。 | ||
11月 | 「ニューシッピング株式会社」が韓国釜山支店を設立し、船舶管理業務を開始。 | ||
2014年 | 平成26年 | 1月 | 「株式会社クラウドプロスパー」を完全子会社化し、外食セグメントの事業規模を拡充。 |
7月 | 保険代理店事業を分社化し、「大東保険コンサルティング株式会社」を設立。 | ||
2024年 | 令和6年 | 4月 | 阿久沢康夫が代表取締役社長に就任。 |